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ブライアン・リグ著『ヒトラーのユダヤ人兵士(Hitler's Jewish Soldiers)』
 ブライアン・マーク・リグ(Bryan Mark Rigg)はケンブリッジ大学卒の元海兵隊将校で、大学教授である。
 彼は自分の先祖がドイツのユダヤ人であることを知り、ドイツ国防軍に参加していた多くのユダヤ人の研究をはじめたのだった。
 また自身もイスラエル国防軍の志願兵であり、ユダヤ人なのだろう。
 リグは、ドイツ、トルコ、スウェーデン、カナダ、イスラエルなどを回り、元ドイツ国防軍兵士だった約400人のMischlinge(混血児)にインタビューをした。
 インタビューを受けた元兵士たちはユダヤ人の絶滅計画について何も知らず、また15万人のユダヤ人がドイツ軍に入隊していたと言う。
 以下は「ヒトラーのユダヤ人兵士」の中で紹介されているユダヤ人兵士達である。


 ヴェルナー・ゴルトベルク(Werner Goldberg)
ゴルトベルクはユダヤ人ハーフだったが金髪碧眼の美形だったため、この写真は「理想的なドイツ兵」という文章とともに、 1939年に新聞「Berliner Tageblatt」に載った。


1938年、国家労働奉仕団の服を着たヴェルナーと母
 ゴルドベルクは1919年10月3日、ケーニヒスベルクに生まれた。父はユダヤ人だったが、ルター派に改宗している。 そのためヴェルナーと弟マルティンは父がユダヤ人であることを知らず、教会でバプテストを受けている。
 だが1933年4月7日に「職業官吏再建法」が制定され、4月11日に「職業官吏再建法暫定施行令」が出されたことにより、父はその職を追われた。
 ヴェルナーは学校を退学し、多くのユダヤ人や混血児が務める衣料品会社に就職した。母方の叔父はNSDAP党員だったが、ゴルトベルク一家と同じユダヤ人と見られることを嫌がり、疎遠になっていた。
 1938年に国家労働奉仕団で6ヶ月間各種労働奉仕活動を行い、1938年12月1日に軍へ入隊した。第二次大戦が始まった1939年9月1日、幼馴染のカール・ヴォルフと共に身分証を提示したが、 それは「父はSS高官」と偽造したものだった。
 だが1940年に混血児達は軍から追放され、入隊前に務めていた衣料品会社で勤務した。
 1942年12月、ヴェルナーの父はバイエルン病院に入院した。しかしゲシュタポが病院を訪れ、父はアウシュヴィッツの病院へ移送されてしまった。ヴェルナーはクリスマズイブに酔った警備員たちの 監視をすり抜けて、父を病院から連れ出したが、すぐにゲシュタポに捕まってしまう。一家で戦争を生き残ったのはヴェルナーだけだった。
 2000年以降、インタビューなどを受けドキュメンタリー「ヒトラーのユダヤ人兵士」に出演。2004年9月28日死去。


ユダヤ人ハーフのアントン・マイヤー(Anton Mayer)の側面・正面写真
この写真は書類の偽造に使われた。


ユダヤ人ハーフのヘルマン・アウプ(Hermann Aub)の軍隊手帳


ユダヤ人ハーフのホルスト・ガイトナー(Horst Geitner)
二級鉄十字章、負傷章銀章受章


ユダヤ人ハーフのパウル・アッシャー(Paul Ascher)海軍中佐
1899年12月18日生まれで装甲艦アトミラル・グラーフ・シュペーの砲兵将校。
アトミラル・グラーフ・シュペー自沈後の1939年12月にドイツへ帰国し、戦艦ビスマルクの初代乗組員となり、ビスマルクと運命を共にした。
一級鉄十字章、二級鉄十字章、二級戦功十字章受章
アシェル (Asher, Ascher) はヘブライ語の人名である。


ユダヤ人クォーター(祖父がユダヤ人)のベルンハルト・ロッゲ(Bernhard Rogge)海軍中将
仮装巡洋艦アトランティス艦長として通商破壊に従事し、22隻・14万トンを撃沈した。
一級鉄十字章、二級鉄十字章、柏葉付騎士十字章受章
戦後は1957年に西ドイツ海軍に復帰し、海軍少将となった。また、昭和天皇より日本刀を授かっている。


ユダヤ人ハーフのヨハネス・ツェッケルトート(Johannes Zuckertort)中将
弟のカール・ツェッケルトートも中将にまで昇進している。


ユダヤ人ハーフのヴァルター・H・ホレンダー(Walter H. Hollaender)大佐
騎士十字章、ドイツ十字章金章、一級鉄十字章、二級鉄十字章、白兵戦章受章


ユダヤ人ハーフのヘルムート・ヴィルベルク(Helmut Wilberg)航空兵大将
1935年、ヴィルベルク大将はヒトラー総統によってアーリア人認定を受けた
一級鉄十字章、二級鉄十字章、ホーエンツォレルン家剣付騎士十字勲章受章


ゴットハルト・ハインリツィ(Gotthard Heinrici)上級大将の妻はユダヤ人ハーフであった


エアハルト・ミルヒ(Erhard Milch)空軍元帥にもユダヤ人説がある(英語版ウィキペディアではほぼ断定)。
 1933年にミルヒがゲーリングにより航空省次官に任命されたとき、ミルヒの母はキリスト教に改宗したユダヤ人と結婚して彼を産んだという噂が広まった。 ミルヒはこれを否定し、ゲーリングもこの主張を受け入れて関係する記録を改竄したという。1946年のニュルンベルク裁判でミルヒが証人として出廷した際に作成された身上書でも、 ミルヒは自分が母の婚外子であると主張している。
 1935年、ミルヒの父親アントン・ミルヒがユダヤ人でないかとの噂が流れ、彼の家族はゲシュタポによって調査された。 ミルヒの母が、アントンがエアハルトとその兄弟姉妹の実の父でなく、エアハルトの母のおじに当たるカール・ブラウアーであるとする法的な宣誓供述書に署名するようにゲーリングが エアハルトの母に説得することによって問題を解決させた。
 ミルヒの母が本当に愛していたのはそのおじであった、という話もある。
 ユダヤ人作家ヴィクトル・クレンペラーは、1936年10月18日の日記に次のように記している。
「それとマルタが、空軍のミルヒ将軍はアーリア人の母とユダヤ人の父を持つという報せを持ってきた。彼自身は母はアーリア人との婚外交渉で自分をもうけたと主張しているそうだ」
 ゲーリングは「航空省で誰がユダヤ人かは私が決める」とミルヒをかばっている。

 アイスホッケーの選手ルディ・バル(Rudi Ball)はユダヤ人ハーフであったが、1936年冬季オリンピックに出場している。
 女子フェンシングのヘレーネ・マイヤー(Helene Mayer)はユダヤ人ハーフでアメリカに移住したが、1936年夏季オリンピックに出場するために帰国し、銀メダルを獲得している。 彼女の母や2人の兄弟もドイツに住んでいた(彼女がドイツ人から認められ、受け入れられたわけではなかった)。
 帝国音楽院(第三帝国時代のドイツで、国民社会主義に基づいて音楽を振興し、また抑圧と強制的同一化を行った機関)で好まれた現代作曲家の一人であるカール・オルフは、 ユダヤ人クォーター(祖父がカトリックに改宗したユダヤ人)であった。
 西ドイツの第5代首相ヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt)はユダヤ人ハーフだったが、大戦中は空軍将校であり、帝国空軍省の対空砲教官兼顧問でもあった。 教師だった父グスタフはユダヤ教徒の商人と女性給仕の間に生まれた私生児で、ヒトラー政権下では迫害から逃れるために書類を偽造してアーリア人である証明書を得た。
 連合国に情報を流していた外交官のハンス・フォン・ヘルヴァルト(Hans von Herwarth)はユダヤ人クォーターであり、名誉アーリア人認定を受けている。
 空軍のテストパイロット、メリタ・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵夫人(Melitta Schenk Gräfin von Stauffenberg)の父ミヒャエル・シラーはユダヤ人毛皮商の 息子であり、プロテスタントに改宗したユダヤ人であった。夫アレクサンダーはクラウス・フォン・シュタウフェンベルクの兄である。
 1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞したオットー・ハインリヒ・ヴァルブルク(Otto Heinrich Warburg)はユダヤ人ハーフだったが、1931年から1953年までカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所の 局長だった。1944年にノーベル賞にノミネートされたが、ヒトラー政権は1937年に受賞禁止を布告したと言われていたが、そもそもノミネートされていなかったということがわかっている。
 ヒトラーの専属料理人の女性(フォン・エクスナー夫人かと思われる)も、ヒトラーが彼女の料理の味を愛していたが故に、名誉アーリア人とされた。
 オーストリアの医師エドゥアルト・ブロッホはユダヤ系だったが、母クララを治療したことに恩を感じていたヒトラーはユダヤ人であるにもかかわらず、オーストリア併合後、ゲシュタポの保護下に置き、 Edeljude(高貴なユダヤ人)と呼んだ。1940年のアメリカ亡命も許可している。
 ガリツィア出身のユダヤ人で、下町のウィードナー本通りなどに画商兼額縁商の店を開いていたヤコプ・アルテンベルク(Jakob Altenberg)はヒトラーの絵を買い取っていた。 彼はヒトラーと出会った当時、ヒトラーから反ユダヤ主義的な発言は聞かなかったという。オーストリア併合後に財産を没収されたが、妻がアーリア人だったため、国外追放を免れた。 ヒトラーの絵は財産没収後に党に売却している。
 ブダペスト出身のユダヤ人で、ガラス工芸職人兼額縁商のサミュエル・モルゲンシュテルン(Samuel Morgenstern)はヒトラーが最も信頼をおいた絵の買い取り人で、良好な関係を築いていたと言うが、 財産を没収され、ささやかな資金を与えられたものの飛行税を払うことが出来ず、亡命が出来なかった。大戦勃発後に土地も没収され、ウッチのゲットーで死亡した。

 ユダヤ系の男性と結婚した女性が、配偶者の解放を求めたローゼンシュトラーセ抗議では、ゲシュタポが女性達の抗議に屈して彼らを解放するという例外的なケースも存在する。

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