名言・発言録



ドイツ
・ヴィルヘルム2世(1859年-1941年) プロイセン王・ドイツ皇帝
 「海軍の将兵が皆このように信念に忠実であればよい」(恩賜の酒を断った救世軍信徒の水兵を許した際の言葉)

 「ドイツ帝国は今や世界帝国となった」(1896年1月18日)

 「ドイツの将来は海上にあり」(1898年9月23日)

 「ドイツは全世界3億のイスラム教徒の友である」(1898年、オスマン帝国訪問に際して)

 「余は大西洋提督とならん。貴殿は太平洋提督となられよ」(ニコライ2世に東アジア進出を勧めて)

 「諸君が敵と思ったらすぐさま殺せ。慈悲は無用である。捕虜などというまどろっこしい物は必要ない」(義和団の乱に出兵する将兵に対して)

 「祖先と共にかつてあり、そして我らと共にこれからもある、神と共に進め」(1914年8月6日、開戦を告げる国民向け演説)

 「余は諸党派を見ず、ドイツ人を見るのみ」(労働運動指導者たちの軍需産業への献身の誓いを受けて)

 「落葉の季節となる前に、諸君は家に帰れるであろう」(1914年8月第1週、出征兵士たちに対して)

 「今度の戦役は驚嘆すべきあり、伝統的プロイセン精神によって遂行された」(ポーランド侵攻に関して)

 「我を賞賛することなかれ。賞賛を要せぬゆえ。我に栄誉を与うるなかれ。栄誉を求めぬゆえ。我を裁くことなかれ。我これより裁かるるゆえ」(墓碑に刻まれた言葉)

・テオバルト・フォン・ベートマン=ホルヴェーク(1856年-1921年) ドイツの政治家・宰相
 「ルクセンブルクは目障りだ」(ルクセンブルクの中立を侵犯したことを認めた後)

・アルフレート・フォン・シュリーフェン(1833年-1913年) ドイツの陸軍軍人
 「ベルギーの鉄道はドイツの鉄道とフランスのそれとを結ぶ最良の連結部である」

 「我に強い右翼を!」(最後の言葉として広く知られている発言)

 「小さな原因が大きな結果を招く」(自分の病状を冷静に分析した、実際の最後の言葉)

・ヘルムート・フォン・モルトケ(1848年-1916年) ドイツの陸軍軍人・通称:小モルトケ
 「一度決定されたことは変更するすることはできません」(皇帝に東部一面作戦への作戦変更を提案されて)

・エーリヒ・フォン・ファルケンハイン(1861年-1922年) ドイツの陸軍軍人
 「この戦争望ましい結果に終わることは疑いないが、それがいつ、どこで、どんな形で達成されるかは現状まったく予想できない」(参謀総長就任後、宰相に対して)

 「目標を達成すると否とは最大の問題ではない。最大の目的は兵力資源の枯渇によって屈服させることにある」

・パウル・フォン・ヒンデンブルク(1847年-1934年) ドイツの陸軍軍人・ヴァイマル共和国大統領
 「夏の作戦だけではロシア軍の攻撃力は完全に破られてはいない」(1915年10月6日、西部戦線へ兵力を回すよう求められて)

 「君はどう思う?」(ルーデンドルフによくこう問いかけた、彼の口癖)

 「いいかね。もしタンネンベルクの戦いが有利に展開しなかったら、全ドイツ国民から永久にのろわれる名前があったに違いない。それはヒンデンブルクだ」(世間の異様な英雄視に対して)

 「あの男をわしの下で首相にしろというのか? 奴は郵便局長あたりがうってつけだ。わしの肖像画のついた切手でも舐めるがよい!」(ヒトラーとの会談後)

 「ルーデンドルフよ。お前の部下はなんと見事な行進をするではないか。それに何というたくさんの捕虜だろう」(突撃隊の松明行進を見て)

・エーリヒ・ルーデンドルフ(1865年-1937年) ドイツの陸軍軍人
 「では参謀総長と私は辞めましょう」(皇帝や政治家を黙らせる彼の殺し文句)

・マックス・ホフマン(1869年-1927年) ドイツの陸軍軍人
 「ロシア代表は我が国を占領した勝者のように語る」(トロツキーとの講和交渉について)

・ハンス・フォン・ゼークト(1866年-1936年) ドイツの陸軍軍人
 「軍は軍を撃たない」(カップ一揆鎮圧を求められて)

・マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(1892年-1918年) ドイツの陸軍軍人・撃墜王
 「輝かしい死に。地の最後の一滴まで、燃料の最後の一滴まで、心臓が最後の鼓動を打つまで、エンジンが最後の唸りを上げるまで戦い飛び続けよう雄々しい騎士の死に。そして敵味方の区別無く、空を飛ぶ全ての友人たちに乾杯」

・エルンスト・ユンガー(1895年-1998年) ドイツの作家・思想家・陸軍軍人
 「戦争は大きなもの強いもの神聖なものだと信じ、またいかにも男性的で花咲く野原の兵隊ごっこのように愉快なものだと考えたのである。国内でぐずぐすしていることはない。戦地に向かう。戦線に立とう。これが私たちの気持ちであった」

・ヴァルター・リンマー(?年-1914年) ドイツの学徒兵
 「国民や祖国や神や、一切の包括的なもののことを考えるとしたら、私たちは雄々しくなるのです」

・ローザ・ルクセンブルク(1870年-1919年) ドイツのマルクス主義理論家
 「人は両端が燃えている蝋燭のように生きねばならない」

・アドルフ・ヒトラー(1889年-1945年) ドイツの政治家・独裁者
 「1914年の大戦がオーストリアで勃発し、したがってハプスブルク家も参戦せざるをえなくなったのは不幸中の幸いであった。もし逆にドイツで勃発していたなら(オーストリアとの同盟関係にも関わらず)、ドイツは孤立していただろうからだ」

 「ドイツはどんな犠牲を払ってでも世界平和を守ろうとする病的な弱気から、絶えずあれこれ迷っているうちにあらゆる国との関係を台無しにしてしまったのである」

 「敵の姿をミュンヘンで見たが、奴らはただの虫けらだ」

 「いまから12年後、諸君はベルリンの姿を想像できないだろう」(1933年)

 「ドイツがオーストリアを併合する意図があるという主張は、ばかげたことだと断言する」(1934年1月)

 「私のモットーは『完全に全ての手段で相手を倒す』だ。私は戦争を行う者だ」

 「天才の一瞬の閃きは凡人の一生に勝る」

 「私は支配者ではない、指導者である」

 「命は弱さを許さない」

 「平和は剣によってのみ守られる」

 「私は間違っているが、世間はもっと間違っている」

 「愛国心なき軍隊は永久に警察たるにとどまり、敵前で戦闘をする軍隊ではなくなる」

 「永遠の争いが人類を強くし、永遠の平和が人類を弱くするのだ」

 「生きたいと望む者は、存分に戦うがいい。この世で永遠の闘争を望まぬ者に生きる資格などない」

 「我々は、むやみに大きな力を持とう望んでいるのではない。我々の労働のために、我々民族のために、我々ドイツのために立ち上がる必要がある」

 「私の後に続き、諸君が世界へと踏み出すときが来た。すべてを任務に捧げ、休息以外はなにも望むな。平和以外はなにも望むな」

 「なぜポーランド返還を求めるための戦争を西方で戦わなければいけないのか? ベルサイユ条約で成立したポーランドは二度と立ち上がれないだろう」

 「ドゥーチェ、北アフリカのイタリア軍戦車部隊を、我がロンメル将軍の指揮下に置いてくださったことに、深く感謝いたします。彼は貴下の信頼を裏切ることはありませんし、 貴下の兵士たちの心服と敬愛を短期間に勝ち取るものと確信しております」(1941年2月28日、ムッソリーニ宛ての書簡)

 「我々は倒されるかもしれない。もしそれが成されるとき、我々と一緒に炎の世界に引きずり込むつもりである」

 「ドイツが世界最強の国家となるか、それともドイツが消滅するかだ」

 「パリを最後まで防衛せよ、セーヌ川に掛る全ての橋を破壊せよ、都市を焦土にせよ」

・ルドルフ・ヘス(1894年-1987年) ドイツの政治家・第三帝国副総統
 「党はヒトラーに忠誠を誓う。ヒトラーはドイツそのものである」

・ヨーゼフ・ゲッベルス(1897年-1945年) ドイツの政治家・宣伝相
 「我々が力を持ったら、殺されて官邸から運び出される時まで決して降伏しない」

 「諸君は総力戦を望むか?」

 「総統が存在する限りドイツはまだ健在である。このような美しい日に、我々は総統の誕生日を祝うことができる」(1945年4月26日)

・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(1893年-1946年) ドイツの外交官
 「例えば、戦争になるぞ、と言うこともできますね」(ニュルンベルク裁判中、検察官に「侵攻するぞ・空爆するぞ」以上の脅迫行為はあるかと問われ)

・ハインリヒ・ヒムラー(1900年-1945年) ドイツの政治家・SS全国指導者
 「この黒いユニフォームを見ると気分が悪くなるという人がドイツに大勢いるのを私は知っている。我々はそれを分かっているし、愛されることを期待していない」

 「必要以上の粗暴で非情な措置は取っていない。我々ドイツ人は、たとえ相手が人間以下の畜生でも、際まできちんとした態度をとる」

・エルンスト・カルテンブルンナー(1903年-1946年) ドイツの法律家・政治家
 「抑圧は権力の本質である」

・カール・ヘルマン・フランク ドイツの政治家
 「暴動を起こした者は血の海の中で溺れ死ぬことになる」(1945年5月5日、プラハ暴動に際して)

・ヘルマン・ゲーリング(1893年-1946年) ドイツの政治家・空軍軍人
 「我が空軍は敵撃滅に貢献してきた。今、我々はこの大いなる戦いの終盤に入った。ポーランドやフランスの場合はと同様、我が空軍はイングランドでも戦う。断固敵を粉砕し、絶滅させるのみだ」(1940年の演説)

 「私のドイツ空軍は頑強だ……今に我々がイングランドを屈服させる。どれくらいの期間が必要か? 2、3週間か?」(1940年6月)

 「私に良心などない。私の良心は、その名をアドルフ・ヒトラーという」

 「ベルリン上空をP-51の編隊が飛ぶのを見たとき、この戦争は負けると観念した」(戦後、1944年3月のベルリン空襲を回想して)

・ハインツ・グデーリアン(1888年-1954年) ドイツの陸軍軍人
 「兵站は、機甲部隊の作戦行動の足枷である」

 「戦車が成功するなら、勝利は続く」

 「戦車のエンジンは主砲と同じくらい重要な兵器だ」

 「我々はロシアの国土の広さ、過酷な気候を過小評価していた。これは手痛いしっぺ返しであった」

 「最良の意志も、事実の前にはすべて砕け散ってしまう。敵に決定的な大打撃を与えうる唯一のチャンスは既に失われ、再び敵に大攻勢をかけるべきか否かは、 今の私には判断できない。状況がいかに進展するかは、神のみが知りたもうことだ」(1941年11月6日、前線視察後の書簡)

・エーリヒ・フォン・マンシュタイン(1887年-1973年) ドイツの陸軍軍人
 「損をしたと考えるまで、戦争は無くならない」

・ゲルト・フォン・ルントシュテット(1875年-1953年) ドイツの陸軍軍人
 「我々は前の戦争(第一次大戦)のあと、もっと分別を持つべきだった」

・エルヴィン・ロンメル(1891年-1944年) ドイツの陸軍軍人
 「汗は血を救う。血は命を救う。頭脳は両方を救う」

 「諸君は生きているか、疲れているか、死んでいるかのどれだ?」

 「怪しいところは、弾丸をぶちこめ」

 「元帥杖よりも1個師団をもらいたかった」(1942年9月、妻への手紙の中で)

 「私は軍人であり、最高司令官の命令に従う」(1944年10月14日、裁判か自殺かを迫られて)

・フランツ・ハルダー(1884年-1972年) ドイツの陸軍軍人
 「我々は明らかにロシアの軍事力を過小評価していた。開戦前、我々は敵兵力を200個師団と見積もっていたが、既に360個師団が確認されている。彼らは訓練を欠いた烏合の衆ではあるが、1ダースの敵を撃破しても、 またすぐ1ダースが現れてくる。限られた時間という要素は、この戦争では明らかに敵の味方だ」(1941年8月11日の日記)

・ハッソ・フォン・マントイフェル(1897年-1978年) ドイツの陸軍軍人
 「有能な司令官ならば、誰でも装甲師団を指揮することが出来る。だが、その補給には天才が必要だ」

・ハンス・クラーマー(1896年-1968年) ドイツの陸軍軍人・アフリカ軍団最後の司令官
 「ドイツ・アフリカ軍団の伝統が受け継がれてゆくことを信ずる。アフリカ万歳!」(1943年5月、投降に際し発したアフリカ軍団最後の通信)

・パウル・ハウサー(1890年-1972年) ドイツの陸軍軍人・武装SS将校
 「わたしのような老人にはそれで構わん。だが表にいる若者たちにそれを強いることはできないのだ。直ちにわたしの命令を軍団に伝達したまえ」 (1943年3月2日、ハリコフでの死守命令を無視する決断をした際の言葉)

・ヨーゼフ・ディートリヒ(1892年-1966年) ドイツの陸軍軍人・武装SS将校
 「なんで第6SS装甲軍なのか知ってるか? 戦車が6輌しかないからだ」(春の目覚め作戦の敗北後)

・エーリヒ・レーダー(1876年-1960年) ドイツの海軍軍人
 「すべての戦争は、海軍力によって決着が付く」

・クルト・アスマン ドイツの海軍軍人
 「イタリアが日本だったら、1940年6月10日にマルタ奇襲をもって戦争を開始したであろう。当時のマルタはろくに準備もしていなかったのだ。 日本にとってのパール・ハーバーがイタリアにとってのマルタなのだから」

・ロベルト・フォン・グライム(1892年-1945年) ドイツの空軍軍人・空軍総司令官
 「我々は崇高な理念に身を捧げると信じる軍人として戦ってきた。その理想主義と軍人としての義務への献身は、その理想が破滅する日に一緒に消えるべきである」(敗戦直後、自殺前に語った言葉)

・クルト・トゥホルスキー(1890年-1935年) ユダヤ系ドイツ人、風刺作家・ジャーナリスト
 「一人の死は悲劇だが、数百万の死は統計にすぎない」

・ローラント・フライスラー(1893年-1945年) ドイツの法律家・裁判官・人民法廷長官
 「我々は国内の前線ににて戦っている。我々は法曹の戦車軍団である」

・その他
 「祖国のためにすべてを! 自由のためにすべてを!」(ドイツ帝国国境警備大隊の勧誘ポスター)

 「一つの民族、一つの国家、一人の総統」(ドイツ第三帝国のスローガン)

 「私「(本人名前)」は、敵の重爆撃機との交戦に際して、絶対に編隊を崩さず、必ず肉薄して射撃いたします。そして、射撃により重爆撃機を撃墜できなければ、体当たりをもってしても任務を全うすることを誓います。 もし私「(本人名前)」がここに記された誓約を果たさなかった場合には、軍法会議にかけられても何ら異存はありません」(1943年11月17日、第1突撃飛行中隊の通称「突撃飛行隊員の誓い」。 ゲーリングの査閲ということでセレモニーとして行われ、部隊創設当初は署名させられることはなく、実際に罰則が履行されることはなかった)


イタリア
・ベニート・ムッソリーニ(1883年-1945年) イタリアの政治家・独裁者
 「鋭く噛み付け、爆弾は手の中に、無限の嘲笑は心の中に」

 「人を信じられることは確かに良いことだ。信じないのはもっと良いことである」

 「正義のためには法律を犯すことも許される。そのとき暴力は武器となり、正義となるのだ」

 「流された血により、時は進む」

 「1日でもライオンとして生きることは、羊として生きる100年より良い」

 「民主主義は美しい理論だ。実際には、それが誤りである。いつか君はそのようなアメリカの姿を見るだろう」

 「民族? 現実のものではなく、それは感性だ。生物学的に純粋な民族が今日も存在するなんてことは信じない」

 「人にとっての戦争は、女性にとっての母性のようなものだ」

 「我がイタリアは、ファシズムのもとに発展し、その革命達成の道を経て、自ら望むものを手中にし、繁栄と権力と栄光に達するであろう」

 「ドイツ人を見極めるのだ。アルプスの向こう側にどんな教養があるのか。ローマ時代、カエサル、ウェルギリウス、アウグストゥスの時代に無学・無教養だった連中の彼らは子孫なのだ」

 「人々は飢えていない、自由に飽きている」

 「地中海は他人には道であっても、我々イタリア人には生命線である」

 「我が国は、向こう3年間、戦争を行える軍事力を備え得ないことをご理解願いたい」(1939年4月29日の鋼鉄条約調印の翌日、ヒトラー宛ての書簡で)

 「今年の9月末までには、戦争の決着が全てついていることは確実だ。我が国が戦勝国の一つとして講和会議の席につくまでに、我が軍に数万人の死傷者が出たとしても、 それは必要な犠牲として目をつぶっていただきたい」(1940年5月29日、バドリオ陸軍参謀総長に参戦は自殺行為だといわれて)

 「今や、我が祖国は運命を決する時を迎えた。我々は、我が国の領海(ヨーロッパ地中海)で我々の生存を脅かす、地理的・軍事的な封鎖を打破しなければならない。 4,500万の国民にとって、海洋への自由な進出なくして真の自由はあり得ないからである。賽はついに投げられた。イタリア国民よ、勇気を持ってその真価を発揮せよ!」 (1940年6月10日、ヴェネツィア広場を見下ろす首相官邸バルコニーにて、イタリアの参戦を伝える演説)

 「エジプトに対する我が軍の大規模な攻撃準備は、完了しています。貴国軍の陸海協同による英本土上陸作戦に呼応する形で、同日時に我が方の攻撃も開始する所存です」 (1940年7月14日送付のヒトラー宛の書簡。これを受けたヒトラーは派兵提案を丁重に断り、地中海方面における活躍を期待すると伝えた)

 「総統! 我々は進軍を開始した。栄光あるイタリア軍は、今日夜明けとともにギリシャ-アルバニア国境を越えた!」(1940年10月28日、アドルフ・ヒトラーに宛てて)

・ガレアッツォ・チャーノ(1903年-1943年) イタリアの政治家・外交官・ムッソリーニの娘婿
 「私はドイツ人にすっかり嫌気がさし、ローマに戻った。彼らは我々を裏切った。我々が望まない冒険に我々を巻き込もうとしている。彼らは我々を傷つけかねない」(ドイツのポーランド侵攻計画を知って)

 「いま参戦しなければ、イタリアは大国の地位を100年は失うだろう」

 「(エジプトへの)攻撃は明日開始の予定だが、軍の内部では疑いの目で見るものが多い。中でもウンベルト皇太子は、対エジプト攻略の可能性とその是非について、 私と同様に大きな疑問を抱いている」(1940年9月8日の日記)

・ピエトロ・バドリオ(1871年-1956年) イタリアの陸軍軍人・首相
 「何もすることは無いんだ。御分かりか? ムッソリーニは多分正しいに違いない。ドイツは確かに強い。あいつらが速やかに戦勝を博してくれるだろう」(辞任を申し出たカルボーニ将軍に対して)

 「瀕死の状態にある国に一撃を加えた」(対仏攻撃を命じられた際の抗議に用いた言葉)

・ロドルフォ・グラッツィアーニ(1882年-1955年) イタリアの陸軍軍人・政治家
 「ドゥーチェは、エチオピアを欲するだろう……手に入る・入らないにかかわらず」

 「許された敵は、1,000人の敵より危険だ」

 「現状においては、真に効果的な攻撃は不可能である。唯一可能な作戦は、軍の威信を保持できる程度の小規模な攻撃のみである」 (1940年8月11日、エジプト侵攻準備の状況を確認してローマに送付した結論)

 「攻撃命令を下すのであれば、なぜ我々が要請する軍需物資を送ってくれないのか」 (1940年9月6日、9月9日に攻撃開始せよというムッソリーニの厳命をバドリオより伝えられて)

日本
・近衛文麿(1891年-1945年) 日本の政治家・首相
 「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。深く責任を感じているが、所謂戦争犯罪人として米国の法廷で裁判を受けることは耐え難いことである……」(自殺する際に書かれていた言葉)

・平沼騏一郎(1867年-1952年) 日本の政治家・国粋主義者・法律家・首相  「欧州情勢は複雑怪奇」(独ソ不可侵条約を受けて)

・吉田茂(1878年-1967年) 日本の政治家・外交官・首相
 「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」

 「三千年、いや四千年生きたい、しかし人は死ぬ。しかし国は生き続ける」

 「いつまでも外国によってその安全を守ることは国民のプライドが許さない」

・重光葵(1887年-1957年) 日本の外交官・政治家・外相
 「今、我々は地獄にいる」(1944年6月)

・阿南惟幾(1887年-1945年) 日本の陸軍軍人
 「軍を失うも、国を失わず」

・山本五十六(1884年-1943年) 日本の海軍軍人・連合艦隊司令長官
 「眠れる巨人を起こし、奮い立たせたも同然である」(1941年12月8日、真珠湾攻撃について)

・南雲忠一 日本の海軍軍人
 「太平洋の防波堤としてサイパンに骨を埋めんとす」(1944年7月6日、サイパン島での自殺前の訓示)

・高木八尺(1889年-1984年) 日本の政治学者・アメリカ研究者・政治家
 「それは若い世代の死だけではなく、ある意味では、彼自らの平和の理想の死でもあった」(ウィルソンの対独宣戦を求める演説後の発言を引用して)

・その他
 「日本国運ノ発展ニ対スル大正新時代ノ天佑。此千載一遇ノ大局、東洋ニ対スル日本ノ利権ヲ確立スルベカラズ」(WW1当時の日本政府 大隈重信内閣の大戦の勃発に対する表現)

 「今からでも遅くはない、原隊へ帰れ。抵抗するものは賊軍と見なす。おまえ達の両親は悲しんでいるぞ」(二・二六事件の決起部隊に対して)

 「バスに乗り遅れるな!」(日本の大政翼賛会のスローガン)

 「英国人には正義人情はないと断言しても過言ではない」(1942年11月25日、日本の対印ラジオ宣伝放送「対印通信」)


英国
・エリザベス・ボーズ=ライアン(1900年-2002年) 英国王ジョージ6世の妃
 「我が子らは私が動かぬ限り宮殿を去りません。私は子らの父が動かぬ限り宮殿を去りません。そして王は何が起ころうとも国から逃げ出したりはしません」

・ハーバート・ヘンリー・アスキス(1852年-1928年) 英国の政治家・首相
 「ドイツは英海軍の優位を認めるべき。ドイツがこれ以上海軍増強を行わないなら、代わりに英国はドイツが植民地拡大するのを邪魔しない」(1912年1月)

・デヴィッド・ロイド・ジョージ(1863年-1945年) 英国の政治家・首相
 「自分の国を代表する者として語る権限のない者達に(重要な問題を)論じさせることは単に時間の浪費である」(ウィルソンの秘密外交批判に対応して)

・エドワード・グレイ(1862年-1933年) 英国の政治家
 「争いがオーストリアとロシアに限られる間は英国は介入すまい、しかしドイツ、フランスがかかわりあえば、英国は速やかに決心せざるを得ないだろう」(1914年7月29日、駐英ドイツ大使への警告)

・スタンリー・ボールドウィン(1867年-1947年) 英国の政治家・首相
 「死んだ者を取り返す方法があれば、戦争は終わるだろう」

・ネヴィル・チェンバレン(1869年-1940年) 英国の政治家・首相
 「我々が戦う相手は、不気味・残酷・不誠実・不公平・脅迫および迫害する軍である。」

 「名誉ある平和協定でドイツからダウニング街(英首相官邸)まで戻ったことは歴史上で2回目だ。我々が生きている間、平和であると信じている。」(1938年)

・ウィンストン・チャーチル(1874年-1965年) 英国の政治家・首相
 「人間の戦いにおいて、かくも少数で、かくも多数を守ったことはなかった」

 「船がなければ、生きていくことができない」

 「英国にとって海軍は必需品、しかしドイツにとって海軍は贅沢品」(1912年2月9日)

 「もし英国艦隊がこの時にコンスタンティノープルに砲塔を向けられていれば、トルコは戦争から脱落し、バルカン半島諸国はすべて連合国側につき、 1915年までには連合軍の勝利で終わり、ロシア革命が起こることもなかったであろう」

 「政府が1915年の時点で戦車の有用性を理解できていれば、戦争は1917年に終わらせられた」

 「戦争から煌きと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーや、ナポレオンが兵士たちと共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった」

 「成功とは、意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」

 「戦争に熱狂する政治家は……もはや政策の主導者ではない。予測可能であるが 制御不能な事件の奴隷である」

 「私が歴史を書くのだから、歴史は私に好意的だろう」

 「殺戮と作戦で戦闘に勝利する。将軍が偉大なほど作戦に寄与し、偉大でないほど殺戮を要求する」

 「我らは祖国を護る。浜辺で、滑走路で、野原や街路で、丘陵で我らは戦い、断じて降伏しない」

 「私が提供できるものは、血・労苦・涙と汗だけだ」(1940年の演説)

 「地獄を歩いているなら……突き進め」

 「狂信者とは、意見を変えることができず、話題を変えようとしない人のことである」

 「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」

 「政治は戦争と同じくらいエキサイティングで危険である。戦争では君を一度しか殺せないが、政治では君を何度も殺すことができる」

 「どんなに戦争が順調であっても、簡単に勝てると決して信じるな。船旅を始める誰でも、高波とハリケーンに遭遇するかもしれない」

 「戦争とは笑顔で楽しみながらやるゲームである」

 「近代戦争の経費の埋め合わせをするだけの、年貢を納めることができる敗戦国民や社会はあり得ない」

・ジョン・アーバスノット・フィッシャー(1841年-1920年) 英国の海軍軍人
 「すべての国家は平和が欲しているが、それぞれがふさわしい(利益のある)平和を欲している」

 「海軍大臣(チャーチル)が我々を破滅に導いています。あの男はドイツ人より危険です」(保守党党首ボナ・ローに宛てた手紙で)

・トーマス・エドワード・ロレンス(1888年-1935年) 英国の陸軍軍人
 「確実な成功にはなんらの栄誉もありえなくないが、確実な敗北からは多くの力がほじくりだされるはずだ」

 「作戦が50回阻止されたら、51回目で目標を成し遂げる」

・チャールズ・タウンゼント 英国の陸軍軍人
 「防御においてトルコ兵ほど強い兵はヨーロッパにはいない。ドイツ兵が防御において最も強いことは誰しも知るところではあるが、 かのガリポリ作戦さすがに強いドイツ兵も砲撃に耐えかねて、トルコ兵がこれに交代していったことがある」

・アーチボルド・ウェーヴェル(1883年-1950年) 英国の陸軍軍人
 「『戦争を根絶させるための戦争』のはずだった大戦のあと、パリの講和会議に参集した各国のお偉方は、どうやらもののみごとに『平和を破滅させる和平』を生み出してしまったようである」

・バーナード・モントゴメリー(1887年-1974年) 英国の陸軍元帥
 「今は待つときだ。我々は数ヵ月でロンメル軍を圧倒できる兵力を手にする」

 「我々は勝った。絶対的な勝利だ」(1942年11月、スーパーチャージ作戦後)

 「勇気と戦いに情熱を持て、勝利に向かって進め」(1944年6月5日)

・アーサー・ハリス(1892年-1984年) 英国の空軍軍人、空軍爆撃機軍団司令
 「都市への攻撃は戦争を短期間で終わらせ、同盟国兵士の命を守るため戦略上正当化される」(1945年3月29日、ドレスデン爆撃について)

 「いや、私は人を殺すために急いでいるのだよ」(1942年2月、軍用緊急車輌のためスピード違反で停まる必要がなかったところを警官に止められ、 それに気付いた警官が「閣下、どうかお気をつけのほどを。あのスピードでは人を殺しかねません」といったのに応えて)

・バジル・リデル=ハート(1895年-1970年) 英国の軍事評論家
 「平和を欲するなら、戦争を理解せよ」

 「戦争で最も計算できないものは戦意である」

 「大軍を相手にするときは、敵軍を細かく分断して順次に撃破せよ」

 「新しいアイディアを軍隊に注入するとき、もっとも難しいのは在来の考え方を追い出すことである」

・バートランド・ラッセル(1872年-1970年) 英国の哲学者
 「戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ」

 「愛国者は常に祖国のために死ぬことを口にするが、祖国のために殺すことについては決して語らない」

・ロバート・ニコラス(1893年-1944年) 英国の詩人
 「戦争は高貴なものではない、品位を下げるものだ」

・ラドヤード・キップリング(1865年-1936年) 英国の作家
 「万物よりすばらしい4つのものとは、女性・馬・権力そして戦争」

・W・L・ジョージ(1882年-1926年) 英国の作家
 「戦争は、敵を愛することでなく、味方を憎むことを教えてくれる」

・ジョージ・バーナード・ショー(1856年-1950年) 英国の劇作家
 「我々は、歴史から何も学んでないことを学ぶ」

・ロバート・リンド(1879年-1949年) 英国の作家
 「短期決戦の可能性への信念は最も古い考えの1つであり、人の危険な幻想であるように見える」

・ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866年-1946年) 英国の作家
 「我々が戦争を終結させなければ、戦争が我々の人生を終わりにする」

・フレデリック・リンデマン 英国のチャーチルの科学顧問
 「過失や自然災害ではなく『外からの力』によって住居や財産、家族を失った者は、当初、その『外からの力』に強烈な敵意を抱く。しかし、絶望的な状況が延々と続くと敵意すらも挫け、 失望と喪失感にうちひしがれた精神状態に至る者が多い」(ドイツの人口密集都市に1年半以上、地域爆撃を反復すれば、総人口7,500万のうちの三分の一を「ホームレス」にできると試算して)

・その他
 「ブリトンはあなたを必要としている。あなたの国の軍に参加せよ! 神よ国王を護り賜え」(キッチナーの募兵ポスターの文言)

 「爆煙が見えても問題なし。音が聞こえるようになってもまだ大丈夫。でも、キナ臭くなってきたらトンズラだ!」(WW1中の英軍パイロットたちの高射砲に関するジョーク)

 「大洪水よ、我に続け」(「ダム・バスターズ」こと第617中隊のエンブレムの文字。ルイ15世の言葉より)


アメリカ
・ウッドロウ・ウィルソン(1856年-1924年) アメリカ合衆国第28代大統領
 「現在、交戦国ではない唯一の白人大国である合衆国が参戦すれば、それは文明に対する犯罪だ」(1917年1月、側近のハウスに対して)

 「世界は民主主義のために安全にされなければならない」(1917年4月2日、対独宣戦を要請した教書の一部)

 「今日の私の教書はアメリカの青年たちに対する死のメッセージだよ。それを拍手喝采されるとは何とも妙なことだ」(1917年4月2日、対独宣戦を要請した演説後)

 「勝利なしに平和はありえない……。敗者をうち負かした勝利は、平和を意味する。勝者はうち負かした敗者に対して、傲慢になる」

・フランクリン・D・ルーズベルト(1882年-1945年) アメリカ合衆国第32代大統領
 「保守派とは、素晴らしい2本の足を持ちながら、前へ歩いていく術を身につけられなかった者をいう」

 「かつて戦争を体験した……私は戦争が嫌いだ……」

 「軍事力が唯一の言語だと、彼らはいじめっ子のように理解している」

 「我々が恐れなければいけない唯一のものは、恐怖自体である」

 「諸君がロープを滑り落ちて端までたどり着いたとき、結び目を作り、頑張り続けよ」

 「我々のボーイたちは戦争ができるのか?」(1943年2月、ファイド峠の戦いで100輌以上の戦車を失い、2,000名を超える捕虜を出したと聞いて)

・ドワイト・D・アイゼンハワー(1890年-1969年) アメリカの陸軍軍人・第34代大統領
 「血の代償が伴う戦いには、何の栄光もない」

 「歴史は長い間にわたって、弱さか臆病という自由の面倒を見ることはない」

・コーデル・ハル(1870年-1955年) アメリカの政治家・国務長官
 「もうこれで私の役目は終わった。最早、日本問題は、貴官と海軍長官ノックスの手に委ねられた」(ハル・ノート発表後、ステティニアス陸軍長官に向けて)

・ジョージ・S・パットン(1885年-1945年) アメリカの陸軍軍人
 「戦争は武器で戦うが、人によって勝利がもたらされる。服従し、指揮する、人間の精神こそが、勝利を手にするのだ」

 「どうやるかを教えるな。何をするかを教えろ。そうすれば思いがけない工夫をしてくれるものだ」

 「勝つことで何も得るものがないなら、戦うな」

 「祖国のために死んで戦いに勝った者はいない。戦勝とは、敵を奴らの祖国のために死なせることによって得るものだ」

 「完璧な計画を来週、実行するぐらいなら、次善の計画を今、断固として実行すべきだ」

 「亡くなった人を悼むのは愚かで間違っている。むしろその人が生きていたことを神に感謝すべきだ」

 「今まで誰も防衛に成功しなかった、攻撃しかない、攻撃・猛攻撃を加えろ」

 「我々は羊の群、牛の群、人々を導く。私を導け、私に続け、それともそこをどけ」

 「敵に神の慈悲があらんことを――私は慈悲など見せない」

・ダグラス・マッカーサー(1880年-1964年) アメリカの陸軍軍人
 「勝利への意志がない戦争に参加することは、致命的である」

 「それは、的外れな政策の一般論の一部である。我が国は現在も増大しつつある戦争経済が適している。反戦主義者の妄言と絶え間ない宣伝に惑わされてはいけない」(1951年5月15日)

・オマール・ブラッドレー(1893年-1981年) アメリカの陸軍軍人
 「我々は核の巨人と倫理の幼児の世界にいる。我々は平和以上に戦争を知っており、生きていくこと以上に殺すことを知っている」

 「戦争に2等賞は無い」

・ジョゼフ・W・スティルウェル(1883年-1946年) アメリカの陸軍軍人・蒋介石の参謀長
 「クソ野郎どもにすり潰されるな!」

 「爆弾なしで空襲を行うことはできない!」

・セオドア・ルーズベルト Jr. アメリカの陸軍軍人
 「諸君、我々はここから戦争をはじめよう」(1944年6月6日、ユタ・ビーチに上陸して)

・ジョージ・テイラー アメリカの陸軍軍人・第1歩兵師団第16連隊長
 「このビーチに留まっているのは2種類の人間しかいない! 死んだ奴とこれから死ぬ奴だ! 貴様らケツを上げろ前進するぞ!」(1944年6月6日、オマハ・ビーチにて)

・ウィリアム・ハルゼー(1882年-1959年) アメリカの海軍軍人
 「我々が日本人をぶちのめし終わる前に、日本語をしゃべるやつらは地獄にしかいなくなるだろう!」
 「ラバウルをラビッシュ(可燃性廃棄物)にしてやる」
・チェスター・W・ニミッツ(1885年-1966年) アメリカの海軍軍人
 「硫黄島で戦った人間の間では非凡な勇気さえ共通の美徳だった」(1945年3月16日)

・カーチス・ルメイ(1906年-1990年) アメリカの空軍軍人
 「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者のほうに属している」(1945年3月10日未明)

・アイラ・エイカー(1896年-1987年) アメリカ陸軍航空軍の軍人
 「暖房のないテント小屋で寝起きさせて、トーストとベイクド・ビーンズとオイルサーディンしか食べさせなかったら、きっと"パインツリー(第8爆撃兵団司令部)"がB-17に爆撃されるに違いない」 (英軍のハリス将軍より、英軍と同様のテント宿舎と軍標準食の提供を約束されたが断り、その理由として幕僚たちに言った冗談)

・ジェームズ・フレザー アメリカの海兵隊員・第1海兵工兵大隊長
 「まるで、他人様の女房のベッドに突然潜り込むようなもんだなぁ」(ガダルカナル上陸のための正確な地図が不足していることについて)

・アルバート・アインシュタイン(1879年-1955年) アメリカの理論物理学者
 「平和は、力によっては維持できない。それは、理解によってのみ達成される」

 「この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ」

 「人間が存在する限り、戦争はなくならないだろう」

 「第3次世界大戦では分らないが、第4次世界大戦では、人間は多分石を持って投げ合うだろう」

 「愛国主義の名の下に行われる英雄主義・命令、意味の無い暴力、そして忌むべき愚行。それらを私は激しく憎む」

 「技術的進歩は異常犯罪者の手の中にある斧に似ている。」

・ヘンリー・フォード
 「人が集まるのが始まりであり、一緒にいるのが進歩であり、一緒に働くことが成功をもたらす」

・ケネス・ベインブリッジ(1904年-1996年) アメリカの実験物理学者
 「いま、我々はクソ野郎になった」(1945年7月16日人類最初の核実験(ガジェット:人類最初の原爆のコードネーム)後に。ロバート・オッペンハイマーと思われる発言を引用)

・リチャード・バックミンスター・フラー(1895年-1983年) アメリカの思想家
 「戦争は時代遅れだ。もしくはそれを行う人が時代遅れだ」

・その他
 「前進を続けよ」(海兵隊標語)

 「先週、およそ2,000人、いや3,000人の合衆国海兵隊兵士が、今ではその大半が戦死したか負傷しているが、コンコード橋、ボンノム・リチャード、アラモ、リトル・ビッグボーン、ベロー・ウッド などと並び立つ不朽の戦場としてその地名を全市民に遺した。その名はタラワ」(タイム誌)


ロシア・ソ連
・ラーヴル・コルニーロフ(1870年-1918年) ロシアの軍人
 「死につつあるロシアの大地を守る」(1917年8月)

・ヴラジーミル・レーニン(1870年-1924年) ロシアの革命家・政治家・ソ連の初代最高指導者
 「第二インターナショナルは死んだ」(1914年8月、ドイツ社会民主党の軍事予算案賛成を受けて)

 「帝国主義戦争を内乱に転化せよ。」(1914年秋)

 「我々は、ヨーロッパの現在の墓場のような静けさに欺かれてはならない。ヨーロッパは革命をはらんでいる。……我々老人たちは、おそらく、生きてこのきたるべき革命の決戦を見ることはないであろう……」(1917年1月22日)

 「そうだ、これが革命だ」(1917年4月3日、フィンランド駅で『ラ・マルセイエーズ』を聴いて)

 「臨時政府は打倒された。国家権力は、ペトログラード労働者・兵士代表ソヴィエトの手にうつった」(1917年11月7日)

 「幻想を抱くな、日本は突進してくる」(日本のウラジオストク上陸に対して)

 「自らを守ることができないなら、どんな革命も何も価値がない」

 「戦争反対(平和演説)は、労働者階級をだます手段の1つだ」

 「無関心は権力者、統治者への静かな支持である」

 「革命の時期と進展を示唆することは不可能であり、多かれ少なかれ神秘的な法則に支配されるが、革命が来る場合には急激に進む」

・ヨシフ・スターリン(1878年-1953年) ソ連・第2代最高指導者
 「この戦争は普通の戦争ではない。全ロシア人民の戦争だ」

 「ソ連軍では、後退は前進よりさらに多くの勇気がいる」

 「(抵抗勢力が)自主的に武装解除するなら、かまわない。武装解除を拒否するなら我々がさせるまでだ」

 「絹の手袋をはめてでは革命は出来ない」

 「歴史は無敗の軍隊が存在しないことを示している」

 「キエフは降伏してはならない。橋は許可なく破壊してはならない」「キエフはソビエトであったし、ソビエトであるし、ソビエトであり続ける。 撤退は許さない」(1941年9月11日、ドイツ軍第1装甲集団がドニエプル河を渡河した翌日の命令。撤退許可を出したのは9月17日)

・レフ・トロツキー(1879年-1940年) ソ連の政治家・革命家
 「諸君は戦争に興味がないかもしれないが、戦争は諸君に興味を持っている」

・ニキータ・フルシチョフ(1894年-1971年) ソ連の第4代最高指導者
 「貴様がどう思おうが、歴史は我々の側にある。貴様など年表にも載りはしない!」

 「政治家はどこでも同じだ。川がなくても橋をかける約束をする」

・アンドレイ・エリョーメンコ(1892年-1970年) ソ連の軍人
 「効果は凄かった。ドイツ軍はパニックを起こして逃げた。我が軍の兵士でさえ、前線から一目散に逃げた」(スモレンスクの戦いにおけるカチューシャの効果のほどについて)

・ドミトリー・ヴォルコゴーノフ(1928年-1995年) ソ連の軍人・歴史家
 「奴らは法を守る振りさえしなくなった」(レーニンの皇帝一家処刑について)

・リヒャルト・ゾルゲ(1895年-1944年) ソ連のスパイ
 「私は戦争を憎む。あらゆる戦争を憎む」

・その他
 「白くなるまで赤を打て、赤くなるまで白を打て!」(緑軍(農民・コサックを中心とした反白軍・反ボリシェヴィキ軍事組織)のスローガン)

 「ボリシェヴィキ抜きの共産主義を!」(緑軍(農民・コサックを中心とした反白軍・反ボリシェヴィキ軍事組織)のスローガン)

 「ボリシェヴィキ抜きのソヴィエトのために!」(緑軍(農民・コサックを中心とした反白軍・反ボリシェヴィキ軍事組織)のスローガン)

 「全権力を創立議会へ!」(緑軍(農民・コサックを中心とした反白軍・反ボリシェヴィキ軍事組織)のスローガン)

 「何時でも準備よし!」(ピオネールのスローガン)

フランス
・ジョルジュ・クレマンソー(1841年-1929年) フランスの政治家・ジャーナリスト・首相
 「戦争が平和の合間に起こるのだろうか。それとも平和が戦争の合間に訪れるのだろうか」

 「戦争とは、勝利に帰着する一連の大災害である」

 「勝利は苦戦のあとに来る」

 「油の一滴は、血の一滴」

 「ドイツの方角を睨んだまま、立った姿勢で埋葬してもらいたい」(遺言)

・エドゥアール・ダラディエ(1884年-1970年) フランスの政治家・首相
 「だがこの連中は正気ではない」(ミュンヘン会談後、自分たちを熱狂的に迎える市民を目の当たりにして)

 「私は、我が国と同じ考えを持つ列強と信頼できる協力関係を築きたい。平和の道を歩み続けても、侵略には団結して戦います」

・シャルル・ド・ゴール(1890年-1970年) フランスの陸軍軍人・政治家・第五共和政初代大統領
 「パリ、汚(けが)されたパリ、傷ついたパリ、虐げられたパリ、しかしパリは自由になった」

 「剣は世界の中心である。しかし、威厳を切り分けることは出来ない」

 「指導者は悪い運命の前では、いつも孤独だ」

 「政治とはあまりにも重大な事柄なので、政治家に任せておくことはできない」

 「フランスは戦闘には負けたが、戦争に負けた訳ではない!」

 「フランスには友はない。利害を共にする者がいるのみだ」

・フェルディナン・フォッシュ(1851年-1929年) フランスの陸軍軍人・連合国軍総司令官
 「おもちゃとしては面白いが、兵器としては無価値だ」(大戦前、航空機に関して)

 「我が軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。状況は最高、これより攻撃(反撃)する」(マルヌ会戦において)

 「我らはパリを前にしても、パリの真っ只中でも、パリを後にしても戦うだろう」

 「(ドイツ軍をライン川の向こうへ追い返すまでは)3ヶ月か、4、5ヶ月か、だれにもわからない」(1918年8月)

 「わたしの仕事は終わりました。あなたのお仕事が始まります」(1918年11月11日、クレマンソーに休戦文書を手渡しながら)

 「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」(1919年)

 「指揮官は心を自由にしておかねばならない。偏見、先入観、固定観念を排除することである」

 「軍規はマニュアル訓練には役立つ。しかし、危機に直面した時は役に立たない。だから諸君は、考えることを鍛えよ」

・フィリップ・ペタン(1856年-1951年) フランスの陸軍軍人・フランス国首相
 「敵の動静が分からなくなってしまった! 直ちに空を掃除しろ」

 「今や大会戦は開かれた。マルヌ及びヴェルダンの名将勇卒よ、私は諸子の勇猛果敢に信頼し成功を確信して疑わない。フランスの興亡は実にこの一撃にあり」(1918年3月25日)

・モーリス・ガムラン フランスの陸軍軍人
 「今朝、予測されていた敵の侵攻が遂に始まった。ドイツ軍は死力を尽くして攻撃してくるだろう。フランス軍及び連合軍将兵諸君、我々は『勇気、力、信頼』を合言葉に一丸となろう。 そして24年前、かのペタン元帥が叫んだように『奴らを破る』のだ!」(1940年5月10日朝の演説)

・アルフォンス・ジョルジュ フランスの陸軍軍人
 「ド・ゴール君。まさに敵は、君が長年主張してきた戦術を用いて我がフランスを蹂躙しつつある。ゆにえ君にも、同様の戦術を使って祖国を救ってもらいたい」 (昇進と師団長就任の辞令を受けに出頭したド・ゴール大佐に対して)

・ロマン・ロラン(1866年-1944年) フランスの小説家
 「知識人は政治家を軽蔑し、政治家は知識人を軽蔑する」

 「もっとも偉大な人々は、人に知られることなく死んでいった。 人々が知るブッダやキリストは、第二流の英雄なのだ」

 「今日の新聞・雑誌は嘘の巣窟だ。そして読者の十中八九までが、嘘に丸め込まれる可能性がある」

 「奇妙な信念だ。最初の試練で挫けるとは! なんということだ! 彼らのうちのただ一人でも、国家間の戦争で死ぬよりも、 自己の主義のために死ぬほうを選ぶものはいないのか! ……まるで一つの狂気のようだ……」(社会主義者たちの戦争協力を見て)

・アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年-1944年) フランスの作家・飛行パイロット
 「戦争は冒険ではない。それは病気だ。それは発疹チフス(伝染病)に似ている」


中国
・毛沢東(1893年-1976年) 中華人民共和国・初代国家主席
 「流血のない戦争は政治だ。戦争とは流血のある政治だ」

 「殺す人々が多ければ多いほど、それが革命だ」

 「人民の軍隊がなければ、人民には何もない」

 「政治権力は銃身から生まれる」

 「帝国主義は張子の虎である」

 「人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である」

・周恩来(1898年-1976年) 中国の政治家・革命家
 「外交というものは、形を変えた戦争の継続状態である」

 「新しいものは、常に高らかに声をあげる。そして、旧い世界を変えるのだ」


その他の欧州諸国
・アルベール1世(1875年-1934年) ベルギー国王
 「ベルギーは道ではない。国だ」

 「結果はどうであろうと、拒絶する。我々(王族と軍人)の義務は国土を守り抜くことだ。この点で間違えてはいけない」(ドイツに領土内の通過許可を求められて)

・ユゼフ・ピウスツキ(1867年-1935年) ポーランドの国家元首
 「勝利の時まで、負けても屈従するな。敗北するまで、勝利と休息は誰かの頭上にある」

・ユゼフ・ベック(1894年-1944年) ポーランドの政治家・外交官・軍人
 「ポーランドのことなかれ主義の概念は理解出来ない。唯一の名誉なことは民衆・民族が生き残ることであり、国にはその(生き残ること)価値がない」(1939年5月5日)

・ピーテル・ヘイル(1887年-1966年) ネーデルラントの歴史家
 「戦争には、通常、歴史の進行を早くするという効果がある」

・フランツ・ヨーゼフ1世(1830年-1916年) オーストリア=ハンガリー帝国皇帝
 「もしマクシミリアン1世が最後の騎士とするなら、フランツ・ヨーゼフは最後の君主である」(1910年、セオドア・ルーズベルトとの会談で)

 「恐ろしいことだ。全能の神に逆らって報い無しにはすまない。世が不幸にも支えられなかった古い秩序を、より高い力が立て直して下さった」(サライェヴォ事件を知らされて)

 「我々の状況は悪くなっている。ことによると、思っているよりよりもずっと悪い。(中略)何としてでも来春には戦争を終わらせるつもりだ。余は、余の帝国を希望無く破滅させることはできない」(1916年7月、侍従武官に対して)

・フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ(1852年-1925年) オーストリア=ハンガリーの軍人
 「我々は軍縮中だ」(WW1前、二重帝国軍について冗談交じりに言った言葉)

・クルト・シュシュニック(1897年-1977年) オーストリアの政治家・首相
 「今の我々に必要なものは、国民の確固たる意思と、指導者の強い信念です。エスターライヒの独立は揺るぎません。この命の尽きるまで」 (ドイツのオーストリア併合要求に言及して)


その他のアジア諸国
・ムスタファ・ケマル(1881年-1938年) オスマン帝国の陸軍軍人・トルコの政治家・アタテュルク(トルコ共和国の国父)
 「前進せよ。目標は地中海!」

 「諸君らに命令するのh攻撃ではない、死だ。我々が死ぬまでに稼いだ時間の間に味方部隊が我々の陣地に就くことができる」

 「私のちっぽけな体はいかにしようともいつの日か土くれになるであろう。しかし、トルコ共和国は永遠に生きつづけるであろう」

 「祖国に平和、世界に平和」

・マハトマ・ガンジー(1869年-1948年) インドの独立運動家・政治指導者・弁護士
 「英国人が帰るときは友人として見送りたい」

 「それは良い考えだと思う」

 「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」

 「私は自分が死ぬ覚悟ならある。しかし、私に人を殺す覚悟をさせる大義はどこにもない」

・チャンドラ・ボース(1897年-1945年) インドの独立運動家
 「独立のためなら、私は悪魔とも手を握る」

・ホー・チ・ミン(1890年-1969年) ベトナムの革命家・政治家
 「奴隷として生きるより、生贄に殉じる方が良い」

 「独立と自由ほど、尊いものはない」

・マーチン・ファン・クレフェルト(1954年-) イスラエルの歴史学者・軍事研究家
 「ドイツ陸軍がトラック輸送中隊を導入したのはモルトケのおかげであり、トラック輸送中隊がなければ作戦は全く不可能であったであろう」(シュリーフェン計画について)

 「たしかに彼(モルトケ)はシュリーフェン計画に多くの修正を施した。もっぱら兵站的視点から言えば有用であったが、ほとんどは害をもたらした。(中略)それにもかかわらず在任期間を全体をからして見れば、むしろ同計画を改良したほうである」


その他のアメリカ大陸諸国
・エミリアーノ・サパタ(1879年-1919年) メキシコの革命家
 「ひざまずいて生きるより、立って死ぬほうがいい!」

・アウグスト・セサル・サンディーノ(1895年-1934年) ニカラグアの革命家・民族主義防衛軍司令官
 「昨日、貴殿の通告を受け取りその内容もわかりました。私は投降しません。ここで貴殿たちを待ちます。私は自由な祖国を望みます。 さもなくば死を。貴殿たちを恐れてはいません。私は共に戦う仲間たちの愛国心の強さを信じています」(1927年7月、米海兵隊の降伏勧告に対して)

・その他
 「自由な祖国かさもなくば死を」(ニカラグアのゲリラ組織「サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)」の合言葉)


その他のアフリカ諸国
・ファールーク1世(1920年-1965年) エジプト国王
 「世界に最後まで残るキングは英国王とトランプの4人のキングだけだろう」

・ガマール・アブドゥル=ナーセル(1918年-1970年) エジプトの軍人・政治家・大統領
 「アジアには日本がいた。アラブには日本がいない」

・ヤン・スマッツ(1870年-1950年) 南アフリカの軍人・政治家
 「沼地とジャングル……憂鬱な眺めが(後任の)私の目前にあった」(東アフリカ戦線に赴任して)



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