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第1コサック騎兵師団
1943〜1945年

歴史

  ブラウ作戦でドイツ軍がカフカース地方に足を踏み入れると、コサックたちの思わぬ歓待を受けた。そこで国防軍は兵力不足を補うためにコサックの戦力化を目指し、 各コサックの指導者たちと交渉を開始した。ドイツ側がコサックの自治を認めたことで戦力化はスムーズに進み、現地コサックだけではなく、捕虜となった赤軍のコサックも加わった。 さらに亡命コサックのリーダーであるピョートル・クラスノフをカフカースに招致し、コサックたちの意思をより強固なものとした。この時点で8万人以上のコサックがドイツ軍に協力していた。 A軍集団から部隊の編成を任されたのは、騎馬の名手として知られるヘルムート・フォン・パンヴィッツ大佐である。

 だがスターリングラードの敗北を受けてドイツ軍はロストフまで撤退し、ドン・コサックの聖地たるノヴォチェルカスクも1943年2月5日には赤軍に占領された。 それぞれ数千人のドン、クバーニ、テレク・コサックは家族を連れて疎開することとなり、パヴロフのドン・コサック軍団に護衛されて撤退し、最終的にはベラルーシのノヴォグロウドクへと向かった。 その他のコサックは、ウクライナのヘルソン方面やクバーニ橋頭堡方面でドイツ軍と共に戦った。

 1943年4月21日、東プロイセンのミーラウ練兵場で第1コサック騎兵師団が創設された。師団は2個旅団6個連隊で、ドン・コサック2個連隊、クバーニ・コサック2個連隊、テレク・コサック1個連隊で成り立っていた。 4月末にはヘルソンから最初のコサック部隊とその家族が輸送され、その後、同じルートで「レーマン」連隊、ポルタヴァから「フォン・ヴォルフ」連隊、キエフから「ユングシュッツ」連隊、 モギリョフからコノノフ率いる第600コサック大隊がミーラウに集結した。さらに、捕虜収容所のコサック、フランス、クロアチア、セルビアで補助兵として協力しているコサックにも呼びかけを行った。

 パンヴィッツはコサックの将校を積極的に登用し、赤軍や白軍のコサック元将校を充て、さらにアタマンたちを将校に抜擢した。 1943年6月1日、パンヴィッツは少将に昇進すると共に師団長を拝命した。

 1943年10月17日現在の兵員数は、ドイツ人が将校213名、下士官1,374名、兵2,460名、軍属・官吏41名であり、 コサックが将校193名、下士官1,978名、兵13,343名の計18,702名である。車輌については、馬匹10,091頭、荷馬車1,536台、オートバイ66台、乗用車71台、トラック158台、バス1台、 トレーラー4台、ソ連製RSOが13輌であり、装甲車輌は皆無であった。

 連隊長級のドイツ人将校は、馬術技能に秀でた者でないとコサックの尊敬が集められないという事情があったため、ブルクグラーフ(城伯)・ツー・ドーナ中佐、フォン・ノルケン中佐といった騎兵部隊のベテランが集められた。 既存のコサック部隊を率いているフォン・ユングシュルツ中佐、コノノフ中佐などはそのまま留任した。 大隊長級に将校ついても同様で、第1ドン・コサック連隊第1大隊長のエーリヒ・ディーネンタール少佐は、第45歩兵師団第45偵察大隊の中隊長として活躍し、1941年12月14日に騎士十字章を受章している古強者であった。
 また、1万名から1万5千名規模のコサック義勇教導及び補充連隊がモコフに設立された。併設されたユーゲント・コサック学校では、14歳から18歳の少年に対する教育と軍事教練が行われた。

 こうして訓練も終わった第1コサック騎兵師団は、クロアチアへ送られることになった。スターリンとの戦いを望むコサックたちは不満を漏らしたが、 パンヴィッツは移動直前に観閲式を主宰し、クバーニ・コサックのアタマンであるクラスノフ将軍とナウメンコ将軍を招き、両将軍が対パルチザン戦が東部戦線における重要なファクターであると力説した。 これによりコサックの士気は高まり、意気揚々とクロアチアに向けて出立したという。

 1943年9月中旬に輸送が始まり、ポーランド、ハンガリー、スロヴァキアを経由してユーゴスラヴィアに到着した。10月上旬には2個旅団が揃い、 10月14日に実施されたパルチザンの拠点、フルシュカ・ゴーラ山地への攻勢「アルニム」作戦に参加した。心配された一般市民への暴行事件も、ないわけではなかったが思ったほどではなく、大きな規律の乱れもなかった。 コサックの終戦までの脱走兵は250名と部隊の約1%に過ぎず、ドイツ軍における逃亡兵の比率より低かった。

 1943年10月中旬にクロアチアへ移動し、サヴェ川に沿ってザグレブ〜ベオグラード間の輸送及び通信ルートの確保、治安維持の任務に就いた。 第1旅団はシサク、ペトリーニャ、グリナ方面、第2旅団は第15山岳軍団へ配属され、デルヴェンタ、ドボイ、グラカニア方面、つまりゼニカ北方のボスニア山岳地帯に展開した。 第2旅団は1月中旬にボスニアから帰還し、ヤストレバルスコ、カルロヴァツ方面の治安維持任務に就いた。

 1944年1月6日には師団全体でクリスマス祝賀会(正教会では1月6日がクリスマスである)が催され、パンヴィッツはコサックの伝統衣装に身を包んで登場し、コサックたちの喝采を浴びた。 また、2月には第一次大戦やロシア内戦の英雄であるアタマンのヴャチェスラウ・ナウメンコ、グリゴリー・タタルキン、アンドレイ・シュクロ将軍がベオグラードを訪れ、盛大な閲兵式が挙行された。

 1944年3月29日、第2シベリア・コサック連隊はシサク北方のドゥブラフチャク附近で1個パルチザン旅団と交戦し、その撃滅に成功するが、 騎士十字章受章者のフォン・アメルング中佐ほか30名が戦死するなど、損害も大きかった。そして翌月、カルロヴァツ附近のパルチザン掃討戦に投入された。

 5月には第2旅団がノヴァ・グラディシュカへ移動し、第1旅団はグリナ、トプスコ方面でパルチザン掃討作戦「チェス」に動員された。 この戦闘で第2シベリア・コサック連隊が一時的に包囲されたが、第369クロアチア歩兵師団が駆けつけたことで助かった。 7月には第1旅団がザグレブ北方の大規模なパルチザン掃討作戦に参加し、メトリカを制圧した。

 1945年3月、師団は「春の目覚め」作戦の助攻として実施された「ヴァルトイフェル」作戦に参加し、前面に展開していたブルガリア軍を一時的に敗走させたが、 赤軍の反撃により作戦は中止された。

 1945年4月初旬、パンヴィッツはクロアチアのヴィロヴィティツァにて汎コサック会議を開催し、今後の指針を話し合った。このままクロアチアで終戦を迎えれば、パルチザンからの報復は免れない。 パンヴィッツはロシア解放軍との合流を主張したが、クラスノフ将軍はコサックの独自性を重視してこれを拒否、意見はまとまらなかった。 残された道は西側連合国への投降であり、5月8日に第15コサック騎兵軍団とその家族、合計約4万人はチトー・パルチザンの追撃を振り切り、オーストリア国境で英軍に降伏した。 英軍はコサックの地位を保障するかのような言葉を掛けていたが、ソ連との取り決めによりコサックの引渡しは既に決定されており、5月28日にソ連とチトー・パルチザンへと引き渡された。


  編成
1943年10月17日の編成
第1コサック師団(師団長:ヘルムート・フォン・パンヴィッツ少将)
  師団本部
  プロパガンダ小隊
  野戦憲兵隊
  憲兵衛兵小隊
  軍楽隊
 第1ドン・コサック旅団(旅団長:ハンス・フォン・ヴォルフ中佐)
  第1ドン・コサック連隊(連隊長:ツー・ドーナ中佐)
   通信班
   第9重装備中隊(2個戦車猟兵小隊(各50mm対戦車砲3門)、2個迫撃砲小隊(各81cm迫撃砲4門))
   第1〜第2コサック大隊
    第1〜第3(第5〜第7)騎馬中隊(3個小隊(各軽機関銃3挺)、迫撃砲班(50mm迫撃砲2門))
    第4(第8)騎馬中隊(2個小隊(各軽機関銃4挺)、迫撃砲班(81mm迫撃砲4門))
  第2シベリア・コサック連隊(連隊長:フォン・ノルケン中佐)
   通信班
   第9重装備中隊(2個戦車猟兵小隊(各50mm対戦車砲3門)、2個迫撃砲小隊(各81cm迫撃砲4門))
   第1〜第2コサック大隊
    第1〜第3騎馬中隊(3個小隊(各軽機関銃3挺)、迫撃砲班(50mm迫撃砲2門))
    第4騎馬中隊(3個小隊(各軽機関銃4挺)、迫撃砲班(81mm迫撃砲4門))
    第5〜第7自転車中隊(3個小隊(各軽機関銃3挺)、迫撃砲班(50mm迫撃砲2門))
    第8騎馬中隊(2個小隊(各軽機関銃4挺)、迫撃砲班(81mm迫撃砲4門))
  第4クバーニ・コサック連隊(連隊長:パウル・フォン・ヴォルフ中佐)
   編成・装備は第1連隊と同じ
 第2カフカース・コサック旅団(旅団長:フォン・ボッセ大佐)
  通信小隊
  第3クバーニ・コサック連隊(連隊長:ヴェルナー・ユングシュルツ・フォン・レーベルン中佐)
   編成・装備は第1連隊と同じ
  第5ドン・コサック連隊(連隊長:イヴァン・コノノフ中佐)
   編成・装備は第2連隊と同じ
  第6テレク・コサック連隊(連隊長:フォン・カルベン少佐)
   編成・装備は第1連隊と同じ
  コサック砲兵連隊
   ドン・コサック砲兵大隊(3個砲兵中隊(75mm軽野砲K18型4門、軽機関銃2挺))
   クバーニ・コサック砲兵大隊(3個砲兵中隊(75mm軽野砲K18型4門、軽機関銃2挺))
  コサック工兵大隊(自動車化)
   第1〜第3工兵中隊(うち第3中隊は編成中)
   第4工兵建設中隊
   工兵(C型)架橋中隊
   工兵補給段列(馬匹)
  コサック通信大隊(自動車化)
   第1〜第2電話通信中隊
   第3無線通信中隊(自動車化)
   通信補給段列(自動車化)
  コサック補給連隊
   90t輸送段列(軽機関銃3挺)
   60t輸送段列3個(軽機関銃8挺)
   補給中隊(軽機関銃6挺)
   自動車整備中隊(自動車化)
  管理大隊(製パン中隊、精肉中隊、糧秣小隊)
  衛生大隊(コサック衛生中隊2個、コサック救急車輌小隊2個)
  獣医大隊(獣医中隊、獣医段列、野戦憲兵隊(自動車化)、野戦郵便局)

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