トップドイツ軍集団・軍・師団南方総軍司令部

南方総軍司令部
Oberbefehlshaber Süd
1941年〜1945年

  1941年12月2日から、ケッセルリング元帥は指揮下の第2航空艦隊とともにイタリアに着任し、総軍司令官を併任した。ケッセルリングに戦域全体のイタリア軍を指揮させる構想があったが、イタリア陸軍司令官が激しく抵抗したため実現しなかった。 1943年になるとチュニジアの陸軍作戦を直接指揮する必要が生じ、陸軍から参謀長が出るようになって、第2航空艦隊はリヒトホーフェン元帥が指揮した。 1943年11月16日に南西総軍司令部と改称され、新設されたC軍集団の司令官も兼任した。なお大戦末期には西方総軍司令部が南方総軍司令部に改称している。

 1945年5月2日にC軍集団とともに降伏し、連合軍によって司令官に任命されたジークフリート・ヴェストファール騎兵大将がオーストリアとバイエルンのドイツ軍の降伏と復員を担当した。


  編成
1945年2月20日の編成
第1、2、5、10、117、131、138、142建設大隊
第147科学技術大隊
第1橋建設工兵大隊
第2工兵大隊
第3工兵中隊/1
第4./430, 4./432, 4./488, 4./789, 4./792, 4./820建設中隊
測量中隊
第3大隊「Luciano Manara」
陸軍部隊予備大隊(Heerestruppen-Ersatz-Bataillon)
第1、2、3、14、15、16、17要塞大隊
第2大隊(第2、3、4カノン砲中隊)
第3大隊(第6、7カノン砲中隊、第8、9榴弾砲中隊)
第4大隊(第10榴弾砲中隊、第11カノン砲中隊、第13榴弾砲中隊)
第5大隊(第15重榴弾砲中隊、第16榴弾砲中隊)
第9大隊(第29、30、31重榴弾砲中隊)
第10大隊(第32、33、34重榴弾砲中隊)
第11大隊(第35、36、38、39、40重カノン砲中隊)
第12大隊(第37、41カノン砲中隊)
第5山岳カノン砲中隊
第54補給大隊
第50、52、57、1./487補給中隊
第4補給中隊/497
第1、2製パン中隊/665
保安中隊(1., 2./1004; 1., 2./1005; 1./1008; 1., 2./1009; 1., 2./1011; 1., 2./1013; 1./1015)


  司令官
1941年12月2日〜1945年1月15日:アルベルト・ケッセルリング空軍元帥
1944年10月26日〜1945年1月15日:ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ・ゲナント・フォン・シェール上級大将(代理)
1945年1月15日〜1945年3月9日:アルベルト・ケッセルリング空軍元帥
1945年3月9日〜1945年4月29日:ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ・ゲナント・フォン・シェール上級大将
1945年4月30日〜1945年5月1日:フリードリヒ・シュルツ歩兵大将
1945年5月1日:ハンス・レッティガー装甲兵大将
1945年5月2日:ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ・ゲナント・フォン・シェール上級大将
1945年5月2日〜1945年5月6日:ジークフリート・ヴェストファール騎兵大将

  参謀長
1941年12月2日〜1942年7月31日:ハンス・ザイドマン大佐
1942年8月25日〜1943年6月12日:ポール・ドイヒマン少将
1943年6月15日〜1944年6月5日:ジークフリート・ヴェストファール少将

  第1種参謀将校
1943年2月1日〜1943年6月15日:ジークフリート・ヴェストファール少将

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