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リグリア軍集団
1943年~1945年

歴史

  1943年10月16日、ラステンブルク議定書がドイツとイタリアの間に調印され、4個師団の軍編成を集めることが許可された。 これらの師団は第1「イタリア」歩兵師団、第2「リットリオ」歩兵師団、第3「サン・マルコ」海兵師団、第4「モンテ・ローザ」山岳師団の4個師団で最終的に総員52,000名に及んだ。
 1944年7月、最初の3師団が訓練を終え、前線へと送られた。黒い旅団やテンスフローティラMASなど他の小さいRSIの部隊と同じように、新編された師団は通常パルチザン掃討に参加し、 例外的に、限定的な前線戦闘行動を行った。最後の師団が訓練を終えた後、これらの部隊はドイツ部隊と合流し、リグリア軍集団を構成した。軍集団の司令官にはイタリアのアルフレード・グッツォーニがついた。
 イタリア社会共和国(RSI)国軍の共和国軍のために作られた軍集団だが、時にドイツ国防軍の編成下に移行された。

 1945年5月1日、グラッツィアーニ国防大臣は指揮下にあるRSI軍に武器を捨てるように命令し、リグリア軍集団は消滅した。
 C軍集団司令官のハインリヒ・フォン・フィーティングホフはイタリア国内の全枢軸軍の無条件降伏に合意し、5月2日正午をもって指揮下の全部隊が降伏した。

編成

 
1945年4月30日時点での戦闘序列
第75兵団
 ドイツ第5山岳師団
 イタリア第2「リットリオ」歩兵師団
 ドイツ第34歩兵師団
ロンバルディア兵団
 イタリア第3「サン・マルコ」海兵師団
 第134ドイツ歩兵連隊
 イタリア第4「モンテ・ローザ」山岳師団
※第1「イタリア」歩兵師団はドイツ第14軍に合流した。

司令官

 
1943年10月16日~1945年5月1日:アルフレード・グッツォーニ大将


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