トップドイツ軍集団・軍・師団クールラント軍集団

クールラント軍集団
Heeresgruppe Kurland
1945年

  1944年10月10日に赤軍はバルト海攻略作戦を発動、ネマン川そばでバルト海に至った。そのため、北方軍集団は中央軍集団と分断され、ドイツ軍26個師団、約20万名の将兵がラトヴィア、クールラント半島で孤立した。 1945年1月25日、ヒトラーの命令により北方軍集団がクールラント軍集団へ、中央軍集団が北方軍集団へ、A軍集団が中央軍集団へそれぞれ改称する。

 クールラント軍集団は第16軍と第18軍で構成されており、これらはバルト海沿岸にあるUボート訓練基地を防衛する事が主目的であった。  ソビエト赤軍はクールラント軍集団に対しては本格的な攻撃を行わなかったため、終戦間際においてもその個々の戦力程度は不明であるが、24〜31個師団が所属していた。 1944年10月14日以降に起きた6つの大きな戦闘を耐え抜き、1945年5月7日にデーニッツ総統より降伏を命じられる。 司令官のカール・ヒルペルト上級大将は麾下の部隊に「すべての部隊に!ゴヴォロフ元帥(原文はGovorodと誤記されている。正しくはGovorov)と5月8日14時に停戦に同意した。 ただちに部隊に通知し、白旗をあげるように。クールラントの部隊の運命のために司令官は忠実で順序良く命令を実行することを期待する。」とメッセージを送った。 5月9日から12日の間に将軍28名、将校5,083名を含む総勢140,408人が降伏し、5月23日に軍集団の武装解除が終了、計約180,000名の将兵が捕虜となる。将校はNKVDに引き渡され、残りの大半はヴァルダイ丘陵の捕虜収容所へ送られた。 一部の兵士たちは義勇軍を形成しようとしたが、赤軍によって未然に防がれ、拘束を逃れたわずかなドイツ人、エストニア人、ラトヴィア人がソ連に対するゲリラ戦に身を投じた。


  編成
軍集団司令部
 第639通信連隊

1945年2月:第16軍、第18軍


  司令官
1945年1月25日〜1945年1月26日:ロタール・レンドゥリチ上級大将
1945年1月26日〜1945年1月30日:カール・ヒルペルト上級大将(司令官代理)
1945年1月30日〜1945年3月10日:ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ・ゲナント・フォン・シェール上級大将
1945年3月10日〜1945年3月24日:ロタール・レンドゥリチ上級大将
1945年4月6日〜1945年5月8日:カール・ヒルペルト上級大将

  参謀長
1945年1月25日〜1945年5月8日:フリードリヒ・フェルチュ中将

  第1種参謀将校
1945年1月25日〜1945年5月8日:ヴェルナー・リヒター参謀大佐

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