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ドン軍集団
Heeresgruppe Don
1942年〜1943年

  ブラウ作戦失敗後の1942年11月19日、赤軍はウラヌス作戦を発動してスターリングラート周辺の戦線を押し返し、逆にスターリングラートの枢軸軍を包囲した。 これを重く見たヒトラーはこの事態に対応するためにドン軍集団の編成を命令、司令官にエーリヒ・フォン・マンシュタインを指名した。

 1942年11月22日、解散した第11軍の司令部を主幹として創設された。戦力として、第6軍の予備部隊の第62、294、336歩兵師団、本国から第11装甲師団、フランス駐屯の第6装甲師団が配備された。 マンシュタインはルーマニア第3軍が撃破されたことにより生じた戦線の崩壊を食い止めるために、ドン川周辺の戦線の再構築を行った。またルーマニア第3軍は参謀のヴァルター・ヴェンク大佐がありとあらゆる部隊の再編成を行い、チル川南岸の戦線を安定させた。 そのため、ドン軍集団は第6軍の救出に専念することが可能となっていた。  しかし、ヒトラーはドン軍集団の示していた二つの作戦「冬の嵐作戦(第6軍がスターリングラートを保持しつつ、ドン軍集団が包囲網を突破する作戦)」「雷鳴作戦(第6軍がスターリングラートを放棄して包囲を突破する作戦)」のうち、 スターリングラートを放棄する雷鳴作戦の発動を拒んだ。そのため、第6軍が救出される可能性は潰えたのであった。1943年2月12日、南方軍集団へ改称した。


  編成
軍集団司令部
 第558通信連隊

1942年12月:ホリト攻撃集団、ルーマニア第3軍、第6軍、ホト集団軍
1943年 1月:ホリト軍支隊、第6軍、ホト集団軍、ルーマニア第3軍
1943年 2月:第1装甲軍、ホリト軍支隊、第6軍、第4装甲軍、ルーマニア第3軍、ルーマニア第4軍


  司令官
1942年11月22日〜1943年2月12日:エーリヒ・フォン・マンシュタイン元帥

  参謀長
1942年11月22日〜1943年2月12日:フリードリヒ・シュルツ少将

  第1種参謀将校
1942年11月22日〜1943年2月12日:テオドール・ブッセ参謀大佐

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