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第250歩兵師団「青師団」
1941年

歴史

  スペインの外務大臣ラモン・セラノ・スニェルが義勇兵派遣をドイツに提案し、内戦時の支援の恩返しとした。

 大都市圏の募集所に募集が殺到し、総勢18,104名が集まった。司令官にはアグスティン・ムニョス・グランデス少将(帰国後に中将)が就任し、 カルロス党員の赤いベレー帽、スペイン外人部隊のカーキ色のズボン、ファランヘ党員の青いシャツなど、象徴的な制服を採用し、「青師団」と呼ばれた。

 1941年7月にドイツへ派遣され、その後東部戦線で戦ったが、連合国と親英保守派の圧力で師団は解散となった。それでも留まることを選択した者たちは、ドイツ軍に入隊した。

 青師団には、150〜200名ほどのポルトガル人中隊が存在した。また航空部隊も存在し、12機撃墜のゴンサロ・エヴィア・アルヴァレスをはじめとして、6名のエースが所属していた。

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